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錆びたブリキが映し出す、人生の宝物

Tags: ブリキのおもちゃ, 収集, 思い出, 人生, 物語

錆びたブリキが映し出す、人生の宝物

私たちの誰もが心の中に、幼い頃に触れた「宝物」の記憶を持っているのではないでしょうか。それはキラキラと輝く新しいものであったり、少し使い古されて味が出たものであったりするかもしれません。今回お話を伺ったのは、そんな幼い日の記憶を呼び覚ますかのような、古いブリキのおもちゃを収集されている田中さん(仮称)、七十代です。田中さんの部屋には、かつて子供たちの夢を乗せて走り回ったであろう、様々な形をしたブリキの自動車やロボットが静かに並んでいます。

幼い日の約束と、再会の喜び

田中さんがブリキのおもちゃを収集するようになったのは、今から二十年ほど前のことだそうです。きっかけは、ふと立ち寄った骨董市で、幼い頃に両親に買ってもらった思い出のブリキの消防車に出会ったことでした。

「あの頃は、ものが豊富ではなかった時代です。その消防車は、年に一度の誕生日に、親が無理をして買ってくれたものだったと記憶しています。大切に大切に遊んで、最後はどこかへ行ってしまったのですが、あの赤色と、少しだけ動く梯子のギミックが、子供心には本当に宝物でした」と田中さんは静かに語ります。

骨董市でその消防車を見つけた時、錆びてはいたものの、その独特の形と色は確かに記憶の中のそれでした。手に取った瞬間、当時の光景や、優しかった両親の声が鮮やかに蘇ったと言います。それは単なる古いおもちゃとの再会ではなく、失われていた幼い自分自身と、そして遠い日の家族との再会でもあったのかもしれません。

その出会いを機に、田中さんは他のブリキのおもちゃにも目を向けるようになりました。探求心に火がついたのです。かつてデパートや駄菓子屋の店先に並んでいたであろう、様々な時代のブリキのおもちゃを求めて、骨董市や古いおもちゃ屋を巡る日々が始まりました。

探し求めた一点、そして人との繋がり

収集を進める中で、特に印象深いエピソードは、戦後間もない頃に作られたとされる、小さなブリキのロボットを探し求めた時のことだそうです。資料でその存在を知り、どうしても手に入れたいと思ったものの、非常に希少なもので、なかなか見つかりませんでした。

何年も探し続け、諦めかけた頃、ある古物商から偶然にもそのロボットを見つけたという連絡が入りました。状態は決して良いとは言えませんでしたが、まさに探し求めていたものでした。

「手に入れた時、何とも言えない感動がありました。単にコレクションが増えたという喜びだけではなく、長い時間をかけて、一つの目標を追い求めてきたことの達成感でしょうか。そして、情報を提供してくれた古物商の方との間にできた、趣味を通じた繋がりの大切さも感じました」と田中さんは振り返ります。

ブリキのおもちゃ収集は、田中さんに多くの人との出会いももたらしました。同じ趣味を持つ人たちが集まる交換会や展示会で、熱心に語り合う時間は何よりの楽しみだと言います。古いおもちゃを通じて、世代を超えた交流が生まれることもあるそうです。それぞれの収集家が持つ物語に触れることも、田中さんにとっては大切な収集の一部なのです。

錆びの中に輝く、人生の価値観

もちろん、収集活動には苦労もあります。置き場所の問題、手入れの難しさ、そして時には偽物や状態の悪いものを掴まされてしまう失敗談も笑いながら話してくださいました。家族からは「またそんなガラクタを」と言われることもあるそうですが、田中さんは動じません。

「彼らにとっては単なる古いおもちゃかもしれませんが、私にとってはそれぞれに物語があり、手に入れた時の苦労や喜びが詰まっている宝物です。この錆びた表面の中に、私の人生の一片が映し出されているように感じることもあります」

ブリキのおもちゃ収集は、田中さんにとって単なる趣味を超え、人生を豊かに彩る大切な活動となっています。それは、幼い頃の自分との対話であり、失われた時代への敬意であり、そして探し求めること、見つけることの喜びを教えてくれるものです。

田中さんの部屋で、静かに並ぶブリキのおもちゃたちは、それぞれが異なる時代を生きてきた証として、そして一人の収集家の情熱と人生の物語を静かに語りかけているかのようでした。錆びた表面が、かえってその奥にある、色褪せない輝きを際立たせているのかもしれません。収集という行為は、その人の人生そのものを映し出す鏡のようなものだと、田中さんのお話から改めて感じることができました。