私と推しグッズ物語

古い石鹸に閉じ込められた、人生の優しい記憶

Tags: 石鹸収集, 思い出, 人生の物語, 香り, コレクター

香りが運ぶ、遠い日の情景

私たちの日常に溶け込んでいる石鹸。手を洗う、体を清める、そんな当たり前の行為に寄り添う存在です。多くの場合、使い切れば消えてしまうものですが、中には特別な思い入れを持って、古い石鹸を大切に集めている方もいらっしゃいます。今回は、そんな少し珍しい「古い石鹸」を収集されている、田中さん(仮名、60代女性)のお話をご紹介しましょう。

田中さんが古い石鹸を集め始めたのは、今から十年ほど前のことでした。きっかけは、実家の片付けをしている最中に偶然見つけた、祖母がかつて愛用していたと思われる小さな石鹸でした。ずいぶんと古いものでしたが、包装紙を開けてみると、微かに懐かしい香りがしたと言います。それは、幼い頃に祖母の家の洗面所で嗅いだことのある、優しい、安心するような香りでした。

その瞬間、田中さんの心の中に、忘れていた幼い日の記憶が鮮やかに蘇ったそうです。祖母が優しく手を洗ってくれた時の感触、石鹸の泡の柔らかさ、洗面所のタイルの冷たさ。たった一つの古い石鹸が、時間という隔たりを超えて、温かい記憶を運んできてくれたのです。

一つ一つに宿る、かけがえのない物語

それからというもの、田中さんは古い石鹸に特別な価値を見出すようになりました。アンティークショップ、骨董市、インターネットオークションなど、様々な場所で古い石鹸との出会いを求めたと言います。収集の対象は、国内外の古い石鹸、珍しい香りやデザインのもの、そして特に、誰かが使わずに長く保管していたと思われる、包装紙がそのまま残っているものです。

中でも思い出深いのは、ある小さな町の骨董市で見つけた、昭和の時代の花柄の包装紙に包まれた石鹸だそうです。その包装紙のデザインや色合いが、田中さんが少女時代に憧れていた、少し背伸びしたような百貨店の化粧品売り場を思い出させたと言います。その石鹸からは、当時の石鹸としては珍しい、甘くフローラルな香りがしました。嗅ぐたびに、友人とお小遣いを握りしめて街へ出かけたり、流行りの歌を口ずさんだりしていた、きらきらとした青春の日々が胸によみがえるのだそうです。

また、人から譲り受けた石鹸にも、それぞれ忘れられないエピソードがあると言います。ある時、古い化粧品店を営んでいた方から、閉店に伴い店の奥に眠っていたデッドストックの石鹸をいくつか譲ってもらったことがありました。中には、戦前のものと思われる、シンプルながらも美しいデザインの石鹸もありました。それらの石鹸一つ一つには、店を切り盛りしてきた方の長年の歴史や、その石鹸を手に取ったであろうかつてのお客さんたちの暮らしの断片が宿っているように感じられ、単なる収集品を超えた、重みのあるものとして心に響いたそうです。

古い石鹸は、時間が経つにつれて香りが薄れたり、変質したりすることもあります。しかし、田中さんにとってはその変化もまた、長い時間を経てきたことの証であり、尊いものだと感じられると言います。保管には気を使いますが、それでも劣化は避けられない現実です。しかし、石鹸そのものの状態よりも、それに付随する包装紙のデザインや、それを見て自分が何を感じるか、どんな記憶が呼び覚まされるかを大切にしているそうです。

石鹸が繋ぐ、過去と未来

田中さんにとって、古い石鹸の収集は、単に物を集める行為ではありません。それは、香りやデザインを通して、過ぎ去った時間、遠い日の自分自身、そして出会うことのない誰かの暮らしに思いを馳せる、静かで豊かな時間なのだと言います。一つ一つの石鹸は、その時代の文化や美意識を映し出し、そこに触れるたびに、自分の人生がその大きな流れの一部であることに気づかされると言います。

これから先も、新しい出会いを求めて石鹸を探し続けることに変わりはないそうです。次にどんな石鹸に出会えるのか、そして、その石鹸が自分にどんな物語を見せてくれるのか、想像するだけで心が躍ると話していました。

田中さんの石鹸は、ガラスケースの中に大切に並べられています。そこには、色とりどりの包装紙や、様々な形をした石鹸たちが静かに佇んでいます。それはまるで、田中さんの人生の様々な場面を閉じ込めた、香りの記憶の博物館のようです。古い石鹸一つ一つが放つ微かな香りは、持ち主の心の中で、今日も優しく、懐かしいメロディーを奏で続けているのです。