私と推しグッズ物語

古地図が映し出す、過ぎし日の人生の歩み

Tags: 古地図, 収集, 人生, エピソード, 歴史

失われた風景を追い求める旅

一枚の古い紙切れ。それが何十年、何百年という時を経て、私たちの手元に届いた時、それは単なる紙では済まされない、様々な物語を宿した存在となります。今回お話を伺ったのは、長年にわたり古地図を収集されてきた田中さん(仮名、70代)です。田中さんの収集は、単に古い地図を集めるという行為を超え、ご自身の人生の歩みと深く結びついていました。

地図との出会い、そして収集の始まり

田中さんが古地図の世界に魅了されたのは、今から三十年ほど前、故郷の町史編纂を手伝ったことがきっかけでした。古い資料を調べていた際、偶然にも江戸時代後期の村の絵図を目にする機会があったそうです。

「それは、今の私の知っている故郷とは全く異なる姿でした。小川の流れが変わっていたり、もう今は無い集落が描かれていたり。何よりも驚いたのは、そこに生き生きと描かれた人々の暮らしぶりを感じさせる記述や、道の曲がり具合一つ一つに込められた意図のようなものだったのです。」

その絵図を見た瞬間、田中さんの心に何かが芽生えました。それは、失われた風景への郷愁であり、その変化の過程を知りたいという強い探求心でした。一枚の絵図が、過去への扉を開いたのです。

初めは故郷の地図だけを集めていた田中さんでしたが、次第に興味は広がり、日本の様々な時代の古地図、果ては海外の古い都市図にまで及んでいきました。古書店を巡り、古物市に足を運び、インターネットオークションで探し求める日々が始まりました。

地図が語る、人生のエピソード

収集の過程で、田中さんは様々な地図と出会い、忘れられないエピソードを積み重ねてこられました。ある時、探し求めていた明治初期の地方都市の地図を、地方の小さな古書店で偶然見つけたことがあったそうです。

「その地図は、私が若い頃に短期間ですが暮らしたことのある町の地図でした。手にした瞬間、当時の記憶が鮮やかに蘇ってきて、胸が熱くなりました。あの頃歩いた道、立ち寄ったお店、住んでいたアパートの場所。地図の上で、もう一度その町を歩いているような不思議な感覚でした。」

その地図には、今は無くなってしまった路面電車の線路が描かれており、当時の賑わいを想像させてくれたと言います。地図一枚から、その時代の空気や人々の営みを感じ取ることができる。それが古地図収集の大きな魅力だと、田中さんは語ります。

もちろん、苦労も絶えません。偽物をつかまされたこともあったそうですし、高値で競り負けて悔しい思いをしたことも一度や二度ではないそうです。しかし、それも含めて収集の醍醐味だと笑います。

「良い地図と巡り合うには、知識だけでなく、やはり運とタイミングが必要ですね。そして何よりも、諦めない情熱。探し続けること自体が、私にとっては喜びなのです。」

一枚一枚の地図には、手に入れた時の状況、地図そのものが持つ歴史、そしてそれを見る田中さんの個人的な思い出が幾重にも折り重なっています。

古地図が教えてくれたこと

古地図を収集することで、田中さんの歴史観や人生観は大きく変わったと言います。

「地図は、ある一時点の『世界』を切り取ったものです。しかし、それを見ていると、その前後の時代の流れ、街や人の営みがどのように変化してきたのかが想像できる。私たちの住む世界も、決して固定されたものではなく、常に変化し続けているのだと実感します。」

そして、田中さんはご自身の人生を古地図に重ね合わせることがあるそうです。

「若い頃は、目の前の道だけを見てがむしゃらに進んできました。でも、古地図を見るように、時折立ち止まって過去を振り返ると、自分がどんな道を歩んできて、今どこに立っているのかがよく分かります。時には、かつて通った道のりが、今はもう無くなっていることに気づくこともあります。」

それは、失われた青春の風景であったり、共に歩んだ大切な人との思い出であったりするのかもしれません。古地図は、過去への窓であると同時に、自己を見つめ直す鏡でもあるのです。

これからも続く、道なき道を辿る旅

田中さんの古地図収集は、これからも続いていきます。次にどのような地図と出会えるのか、その地図がどのような物語を語ってくれるのか、想像するだけで心が躍ると言います。

「古地図を探し求める旅は、終わりがありません。それはまるで、自分の人生の道なき道を辿っていくようなものです。これからも、一枚でも多くの地図と出会い、そこに記された過去と、今の自分を繋いでいきたいと思っています。」

古地図に描かれた線の一本一本に、色褪せた文字の一つ一つに、人々の生きた証を見出し、自らの人生の歩みと重ね合わせる。田中さんの穏やかな語り口の奥には、地図への深い愛情と、人生そのものへの慈しみが満ち溢れていました。