古い食品ラベルが呼び覚ます、忘れられない食卓の記憶
古い食品ラベルに魅せられて
今回お話を伺ったのは、都内在住の田中健一さん(仮名、60代)。田中さんが長年収集されているのは、瓶詰や缶詰、あるいは菓子類などに貼られていた古い食品のラベルです。色鮮やかなもの、素朴なデザインのもの、今では見かけなくなった商品名や会社のロゴが入ったものまで、その種類は多岐にわたります。一見すると単なる古い紙切れにも見えるラベルですが、田中さんにとっては、一つひとつが特別な意味を持つ宝物なのだそうです。
きっかけは母のジャム瓶
田中さんが食品ラベルの収集を始めたのは、今から三十年以上前のことです。実家を整理していた際、戸棚の奥から古いジャムの空き瓶を見つけました。それは、田中さんが子供の頃に、お母様が手作りジャムを入れて使っていたガラス瓶でした。当時の食品ラベルは、今のように簡単には剥がせないものが多く、そのジャム瓶にも、かすれた文字の古いラベルがしっかりと貼られていました。
そのラベルを見た瞬間、田中さんの脳裏に鮮やかに蘇ったのは、幼い頃の食卓の風景でした。朝、焼きたてのトーストにそのジャムをたっぷり乗せてくれたお母様の笑顔、兄弟で取り合うように食べた賑やかな声、食卓を囲む家族の温かい空気。単なるジャムのラベルだったはずが、まるでタイムカプセルのように、当時の記憶と感情を呼び起こしたのです。
「あの時、一枚のラベルにこれほどの力があるのかと、心底驚きました」と田中さんは静かに語ります。「それ以来、古い食品のラベルに特別な価値を感じるようになったのです。捨てられてしまう運命にあるラベルに、誰かの大切な思い出が宿っているかもしれない。そう思うと、見過ごせなくなりました。」
ラベルが語る時代の移り変わりと人々の暮らし
田中さんの収集は、やがて骨董市やフリーマーケット、インターネットオークションへと広がっていきました。様々な場所で出会う古い食品ラベルは、それぞれが独自の物語を秘めているかのようでした。
ある時、田中さんは昭和初期の缶詰ラベルを手に入れました。そこには、戦時中の物資不足が感じられる質素ながらも力強いデザインが描かれていました。別のラベルには、高度経済成長期の日本の家庭でブームになった食品の名前がありました。ラベルの素材や印刷技術の進化も、時代の移り変わりを雄弁に物語っています。
「ラベルを見ていると、当時の食生活や文化、そして何より、それを選び、食べ、楽しんだ人々の暮らしぶりが想像できるのです」と田中さんは言います。「例えば、昔のお菓子のラベルには、子供たちの笑顔を願う作り手の気持ちが込められているように感じます。保存食のラベルからは、家族のために備えようとした誰かの優しさが伝わってきます。」
収集の過程で、同じ食品のラベルでも製造時期によってデザインが異なることを発見したり、全く知らなかったローカルな食品のラベルに出会ったりすることも、田中さんにとっては大きな喜びです。古いラベルには、現在の洗練されたデザインにはない、素朴さや温かみ、そして作り手の熱意が感じられることが多いそうです。
苦労もあったと言います。状態の良いラベルを見つけるのは容易ではありません。古い紙は劣化しやすく、湿気や虫食いの被害にあっていることもあります。大切に持ち帰っても、剥がす際に破れてしまったり、糊が残ってしまったりすることもあります。それでも、一枚でも多くの「物語」を救い出したいという思いが、田中さんを駆り立てるのです。
ラベルが集まる場所に生まれる温かい繋がり
田中さんの収集活動は、思わぬ出会いももたらしました。古いラベルを探しているうちに、同じような趣味を持つ人々との繋がりが生まれ始めたのです。インターネットのコミュニティや、時には小さな交換会を通じて、情報交換をしたり、お互いの収集品を見せ合ったりするようになりました。
「皆さん、それぞれにラベルにまつわる大切な思い出を持っているのですね」と田中さんは話します。「『このラベルのお菓子、子供の頃大好きだったんです』とか、『この瓶のジュースは、父が病気の時に買ってきてくれたんです』とか、聞いていると私も温かい気持ちになります。単に物を集めているだけでなく、人と人との心の繋がりや、過ぎ去った日々への愛おしさを共有できているように感じます。」
田中さんのコレクションの中には、見知らぬ誰かから譲り受けたラベルも少なくありません。それは、持ち主にとってはもう不要になったものかもしれませんが、田中さんの手元に渡ることで、そこに宿る記憶や物語が再び息を吹き返すのです。
ラベルに刻まれた人生という名の味
田中さんの部屋の一角には、丁寧に整理された食品ラベルのファイルが並んでいます。それらを眺める時間は、田中さんにとって静かで豊かなひとときです。一枚のラベルから広がる想像の世界、蘇る遠い日の記憶、そしてラベルを通して繋がった人々との温かい交流。
「ラベルは、単なる商品の表示ではありません。それは、作られた時代、消費された場所、そして何より、それを手にした人々の暮らしや感情の断片が刻まれた、小さな歴史の証人だと思うのです」と田中さんは締めくくりました。
田中さんの収集する古い食品ラベルは、私たち自身の食卓や、過ぎ去った日々の風景を思い起こさせてくれます。そして、何気ない日常の中にこそ、かけがえのない思い出や人生の味わいが詰まっていることを、静かに語りかけているようでした。