一枚の古い箱が蘇らせる、人生の甘い記憶
箱に宿る、見過ごせない物語
私たちの周りには、様々なものが溢れています。その一つ一つに、デザインがあり、パッケージがあります。多くの場合、中身を取り出せば役目を終え、捨てられてしまうものです。しかし、その「箱」そのものに、特別な価値を見出し、静かに集め続けている方がいらっしゃいます。今回お話を伺ったのは、長年にわたり古い商品のパッケージを収集されている、田中さんです。
田中さんがパッケージ収集を始められたのは、今から十年ほど前のことでした。きっかけは、近所の古い商店が店を閉める際に、店の奥から出てきたという古い薬の箱を見せてもらったことだと言います。その箱は、今では見かけない独特のデザインで、色褪せてはいましたが、どこか温かみを感じさせるものでした。それを見た瞬間、田中さんの心の中に、子供の頃の微かな記憶が蘇ってきたそうです。熱を出して寝ていた時に、枕元に置かれていた薬。その薬が入っていた小さな紙の箱。その時の不安な気持ちと、家族が寄り添ってくれた温かさ。箱のデザインそのものよりも、それに付随する「記憶」が、鮮明に呼び起こされたのだそうです。
箱探しという名の記憶の旅
それ以来、田中さんは古い商品のパッケージに惹きつけられるようになりました。骨董市やフリマ、あるいはインターネットオークションなどで、昔のパッケージを探す日々が始まりました。探しているのは、有名メーカーの代表的な商品ばかりではありません。中には、今はもう存在しない地方の小さな会社が作っていたお菓子や、地元の薬局でしか売られていなかった塗り薬の箱など、本当に多種多様なものがあります。
箱を探す過程そのものが、田中さんにとっては一つの「旅」のようなものだと言います。古い街並みに残る商店を訪ねたり、地方の小さな骨董市を覗いてみたり。そうした場所で、思いがけない箱に出会うことがあるのです。例えば、ある時見つけた古びたキャラメル箱は、幼い頃に遠足に持って行ったものと全く同じデザインでした。箱を手に取った瞬間、友達と笑い合った声や、お弁当を開けた時のワクワクした気持ちが、まるで昨日のことのように思い出されたそうです。その箱は、単なる古い紙箱ではなく、田中さんの人生の一コマを封じ込めたタイムカプセルのように感じられたと言います。
収集を続ける中で、失敗談もありました。写真では綺麗に見えたのに、実際はひどく傷んでいたり、湿気でボロボロになっていたりすることもあったそうです。また、時には高額な値段で手に入れたものが、後になってそれほど珍しいものではなかったと分かることもあったと言います。しかし、そうした経験も含めて、この収集活動は田中さんにとってかけがえのない時間を与えてくれているようです。
箱が語りかけるもの
集まったパッケージを眺めていると、そこから様々な時代の声が聞こえてくるような気がすると、田中さんは言います。デザインの流行の変化、使われている素材、印刷技術の移り変わり。そして何より、そこに込められた作り手の思いや、それを使っていた人々の暮らしぶりが伝わってくるのです。ある箱は、質素ながらも丁寧な手仕事を感じさせ、また別の箱は、高度経済成長期の勢いを感じさせる派手なデザインです。それぞれの箱が、無言のうちにその時代を物語っています。
田中さんにとって、パッケージ収集は単に物を集める行為を超えています。それは、過去の自分と向き合い、家族との思い出を反芻し、そして何よりも、日々の生活の中に隠された小さな物語や価値を見出す作業です。一つ一つの箱には、それを手に取った人の温もりや、そこにあったであろう笑顔、あるいは少しの寂しさや苦労といった、目には見えない物語が宿っている。田中さんは、そう信じています。
静かに紡がれる人生の糸
現在、田中さんの部屋には、大切に集められた箱たちが静かに収められています。それらはコレクションケースに整然と並べられるのではなく、棚に積まれたり、引き出しにしまわれたりしています。気が向いた時に、そっと取り出して眺め、それにまつわる記憶を辿る。その時間は、田中さんにとって、何物にも代えがたい大切なひとときです。
古い商品のパッケージたちは、これからも田中さんの傍らで、静かに、しかし確かに、それぞれの物語を語り続けてくれるでしょう。そして、田中さんはその声に耳を傾けながら、自身の人生という名の物語を、ゆっくりと紡いでいくのです。この収集活動が、田中さんの人生にどれほど深い彩りを与えているのか、その一端に触れることができたような気がいたします。