私と推しグッズ物語

レールが消えた町の記憶、古い切符が紡ぐ人生物語

Tags: 切符, ローカル線, 廃線, 思い出, 収集

失われた鉄道風景を探して

静かな時間が流れる応接間には、整然と並べられた古い切符のファイルが積み重ねられていました。今回お話を伺ったのは、田中さん(70代)。彼が半生をかけて集めているのは、かつて日本各地に存在し、今ではその多くが廃止されてしまったローカル線の古い切符です。

カラフルな硬券や、手書きで日付が入った軟券、改札鋏の形跡が生々しいものまで、一枚一枚が異なる表情を見せています。「これはね、私が小学生の頃、初めて家族旅行で乗った路線の切符です。もう、駅舎も線路もなくなってしまいましたが」と、田中さんは優しく一枚を指差しました。その指の動きには、単なる紙切れではない、大切な記憶に触れるかのような敬意が込められています。

思い出を乗せた切符との出会い

田中さんがローカル線の切符収集を始めたのは、今から30年ほど前、故郷の小さな鉄道路線が廃止されるというニュースを聞いたことがきっかけでした。子供の頃の遊び場であり、学生時代の通学路でもあったその路線がなくなることに、言いようのない寂しさを感じたと言います。

「何か、形に残るものはないだろうかと思ったんです。写真も撮っていましたが、ふと、あの頃の硬い切符を思い出しましてね。駅の窓口で、カチン、と日付を入れてもらう音まで覚えています」。

地元の小さな駅で、記念に販売されていた最後の切符を手にしたことから、彼の収集が始まりました。やがて、故郷だけでなく、旅先で出会った路線や、失われゆく他のローカル線の切符にも心が惹かれるようになったのです。

一枚の切符に刻まれた時間

収集活動は、単に切符を集めるだけではありませんでした。田中さんは、切符に記された駅名を頼りに、廃線跡を訪ねることがあります。かつて賑わった駅の跡地に立つと、レールはなくても、ホームの石段や、跨線橋の跡が当時の面影を留めていることがあるそうです。

「切符を見ながらその場所を訪れると、不思議と当時の光景が蘇ってくるんです。あの時、このホームで誰かと待ち合わせをしたな、とか、この改札を通って旅に出たな、とか。切符は、単なる乗車券ではなくて、その日の天気や、一緒にいた人の笑顔、聞こえてきた音まで記録しているように感じるんですよ」。

ある時、彼は地方の小さな骨董市で、探していた路線の古い切符を見つけました。それは、彼が初めて一人で列車に乗った時の日付に近いものでした。持ち主は、その路線の沿線で暮らしていたという年配の女性でした。切符にまつわる思い出話を聞かせてもらううちに、田中さんは、一枚の切符が、見知らぬ誰かの大切な人生の一部であったことを強く感じたと言います。切符を譲り受ける際、彼は女性に丁寧に礼を述べ、「この切符に込められた思い出も、大切に引き継がせていただきます」と伝えたそうです。その瞬間、切符が単なる収集品から、人々の記憶と思いを繋ぐものへと変わったように感じた、と田中さんは振り返ります。

また、切符の裏に鉛筆で小さく何か書き込まれているものを見つけると、想像が膨らむと言います。「これは、あの日の出来事を忘れないように、こっそりメモしたのかもしれませんね。誰かと喧嘩した帰り道か、嬉しい知らせを聞いた日か。一枚の切符が、持ち主の人生のワンシーンを語りかけてくるような気がするんです」。

収集を通じて、田中さんは多くの人々と出会いました。同じように廃線を惜しむ人、かつてその路線を利用していた人、鉄道ファン。それぞれの立場から語られる路線の記憶に耳を傾けることは、田中さんにとって、自身の収集に深みを与えてくれる貴重な時間となっています。

切符に託す未来

田中さんのコレクションは増え続け、今では数百枚にも及びます。彼はこれらの切符を、ただ集めるだけでなく、丁寧に整理し、それぞれの切符にまつわるエピソードを記録しています。「この切符は〇〇さんと出会った時に見つけたもの」「この切符は、あの駅の最後の日に手に入れたもの」といった具合に。

「年を取って、旅に出る機会も減りました。でも、こうして切符を眺めていると、まるで自分がまだ旅の途中にいるような気持ちになるんです」。

一枚一枚の切符は、失われた鉄道風景や、過ぎ去った時間への郷愁を掻き立てると同時に、そこに確かに存在した人々の営みや、それぞれの人生の物語を静かに語りかけてくるようです。田中さんは、これらの切符が、かつてそこを走っていた鉄道の存在、そしてそれを利用した人々の記憶を、未来に繋ぐ小さなかけらになってくれることを願っています。

「いつか、これらの切符を故郷の資料館などに寄贈できたらと思っています。多くの人にとって、懐かしい思い出として、あるいは新しい発見として、これらの切符が何かを語りかけてくれる機会があれば、嬉しいですね」。

田中さんの手の中にある古い切符は、単なる紙片ではありません。それは、失われた風景を映し出す鏡であり、人々の記憶を繋ぐ糸であり、そして、過去から未来へと紡がれる人生という名の物語を乗せた、小さなタイムマシンなのかもしれません。