古い時刻表に記された、人生の忘れられない時間
時代の移ろいを刻んだ紙片
私たちの足元を通り過ぎていった鉄道は、単なる移動手段だけではありません。そこには人々の暮らしがあり、出会いがあり、そして忘れられない時間がありました。それを静かに見守り、記録し続けてきたのが「時刻表」です。
今回は、昔の時刻表を収集されているという、田中さん(仮名、60代後半)のお話をお伺いしました。田中さんにとって、時刻表は単なる列車の発着時間が記されたものではなく、過ぎ去った時代の空気や、そこに生きた人々の息吹を感じさせる、かけがえのない宝物だと言います。
時刻表との出会い、そして深まる愛着
田中さんが時刻表を集め始めたのは、小学生の頃だったそうです。SLが煙を上げて走っていた時代、駅の売店で売られていた時刻表を手に取るたび、まだ見ぬ土地への憧れや、列車の旅への想像が膨らんだと言います。
「最初の時刻表は、確か昭和40年代のものだったと記憶しています。ページをめくるたびに、聞いたことのない駅名や、何時間もかけて目的地に向かう鈍行列車があって。ただ眺めているだけで、遠い世界へ旅しているような気持ちになれたのです」
やがて大人になり、仕事や家庭を持つようになると、時刻表収集からはしばらく離れていました。しかし、50歳を過ぎて少し時間に余裕ができた頃、ふと昔の時刻表を目にする機会があったそうです。
「手に取った瞬間、子供の頃のあの高揚感が蘇ったのです。そこに記されている駅名や路線をたどると、学生時代に友人と旅した時のこと、初めて一人で遠出した時のことなど、忘れていた記憶が鮮やかに蘇ってきました。これは単なる情報ではなく、私の人生そのものを記した記録だと感じたのです」
そこから、田中さんの本格的な時刻表収集が始まりました。古書店やインターネットオークションで昔の時刻表を探し求め、鉄道イベントにも足を運ぶようになりました。
一冊の時刻表に詰まった人生のドラマ
時刻表収集には、様々なドラマがあると言います。
「どうしても手に入れたかった、あるローカル線の廃線直前の時刻表がありました。その路線には、若い頃に一度だけ乗ったことがあり、忘れられない思い出があったのです。探し回ってもなかなか見つからず、半ば諦めかけていた時に、偶然立ち寄った地方の古書店で埃をかぶっているのを見つけました。まるで、時を超えて再会できたような感動でした」
また、時刻表を通じて新たな出会いもありました。同じ趣味を持つ人たちとの情報交換はもちろん、ある時手に入れた古い時刻表の中に、日付と駅名、そして短いメッセージが書かれた紙片が挟まっていたことがあったそうです。
「誰かの旅の記録、あるいは誰かへの伝言だったのかもしれません。その紙片から、持ち主の人生や、その旅の背景に思いを馳せるのは、何とも言えない気持ちになります。時刻表は、見知らぬ誰かの人生の断片をも運んできてくれるのですね」
時刻表を読み解く中で、時代の変化を感じることも多いと言います。かつては幹線から多くの盲腸線が分岐していましたが、今は廃線となってしまった路線が数多くあります。時刻表はその時代の鉄道網を正確に記録しており、日本の近代史や地域社会の変遷を知る貴重な資料ともなり得るのです。
「この路線は、かつて炭鉱で栄えた町を結んでいたのだな、とか、この駅は戦争中に重要な役割を果たした場所だったのか、など、時刻表から歴史の物語を読み取るのが好きです。単なる数字の羅列ではなく、そこには確かに人々の営みがあったのだと感じられます」
時刻表が教えてくれること
田中さんにとって、時刻表収集は単なる趣味の枠を超えています。それは、過去の自分と向き合い、失われた時間や風景に思いを馳せ、そして人との繋がりを感じる大切な時間です。
「昔の時刻表を眺めていると、時間は確かに流れているけれど、失われたものが全て消え去るわけではないのだと感じます。記憶の中に、そしてこうして紙片の中に、確かに存在し続けている。それは、今の自分を見つめ直す上でも、大切なことのように思えるのです」
今後の展望としては、特定の時代の時刻表を系統的に集めたいという目標があるそうです。そして、若い世代にも昔の時刻表の魅力を伝え、そこに記された時代の物語や旅情を感じてもらえたら、と考えていらっしゃいます。
時刻表は、過去から未来へと続く時間の流れを記した羅針盤かもしれません。田中さんの収集された時刻表は、これからも静かに、多くの物語を私たちに語りかけてくれることでしょう。