光を透かすガラスに刻まれた、人生の痕跡
透明な輝きに惹かれて
古いガラス製品、例えば窓辺に飾られた色とりどりの薬瓶や、繊細な模様が施されたプレスガラスの皿。それらが静かに放つ、光を透過した透明な輝きに心を奪われ、長年にわたり蒐集を続けている方がいらっしゃいます。今回は、都内にお住まいの佐藤さん(仮名、60代)にお話を伺いました。彼女がガラスを通して見つめるもの、そしてそこに刻まれた人生の痕跡についてお話しいただきます。
佐藤さんが古いガラスに惹かれ始めたのは、今から20年ほど前、偶然訪れた骨董市でのことでした。並べられた古い品々の中に、埃を被った一枚の小さなガラス皿を見つけたのです。それは、現代の大量生産品とは異なる、わずかに歪みがあり、触れるとざらりとした感触の、手仕事の跡を感じさせるものでした。光にかざすと、微かな気泡が閉じ込められており、それがまるで時間を封じ込めたかのようで、得も言われぬ魅力を感じたと言います。「その時、ガラスがただの『モノ』ではなく、誰かの暮らしの中に確かにあった『時間』や『物語』を宿しているように思えたのです」。その一枚から、佐藤さんの古いガラスを巡る旅が始まりました。
光と影、そして物語
佐藤さんが蒐集するガラス製品は多岐にわたりますが、特に惹かれるのは明治から昭和初期にかけて作られた日本のガラスだそうです。当時はまだ手吹きガラスが主流であったり、あるいはプレスガラスという新たな技術が導入され始めた頃であり、現代にはない独特の風合いやデザインが見られます。
古いガラスを探し求めて、各地の骨董市や骨董店を訪ね歩く日々が続きました。早朝から会場へ足を運び、一つ一つ手に取って眺める時間は、佐藤さんにとって何物にも代えがたい喜びです。ある時、地方の小さな骨董店で、探していたデザインの蓋つき菓子器を見つけました。それは、戦前のもので、表面には細かな傷がありましたが、手触りや透過する光の美しさに心を奪われたと言います。「手に入れた時の喜びはひとしおでした。きっと、誰かの大切なおもてなしに使われたのでしょうね。この器がどんな家庭で、どんな人たちと時間を過ごしてきたのか、想像するだけで胸が熱くなります」と佐藤さんは話します。
しかし、蒐集の道のりには、喜びだけでなく苦労や失敗もつきものです。高価な一点ものに手が出せなかった時の悔しさや、古いものであるがゆえの脆さから、うっかり欠けさせてしまったり、割ってしまった時の喪失感は大きいと言います。「一度、とても気に入っていた小さな花瓶を掃除中に落としてしまったことがありました。その時はもう、立ち直れないくらいショックで。でも、その欠片を光にかざしてみると、割れてもなお美しい輝きを放っていたんです。完璧な形を失っても、ガラスとしての本質的な美しさは変わらないのだと気づかされました」。それは、人生における困難や不完全さを受け入れることにも通じる、大切な学びだったと振り返ります。
ガラスを通して、佐藤さんは様々なことに思いを馳せます。ガラスの製造技術の変遷、当時の人々の暮らしぶり、そして何よりも、それぞれのガラス製品が辿ってきたであろう長い道のりです。一つ一つの気泡や歪み、そして表面の細かな傷は、まるでガラスが呼吸してきた証であり、生きてきた痕跡のように感じられると言います。「光にかざすと、まるでガラスの内側から物語が湧き上がってくるようです。それは、教科書には載っていない、名もない人々のささやかな日常や歴史を教えてくれるように感じられます」。
ガラスが見つめる、これからの時間
佐藤さんにとって、古いガラスを蒐集する行為は、単に物を集めること以上の意味を持っています。それは、過去の時間を手触りを通して感じ、そこに生きた人々の息吹に触れる営みであり、そして何よりも、光を通して自分自身の内面や人生を見つめ直す静かな時間なのです。窓辺に並べたガラスたちが、朝日に、午後の光に、そして夕陽に照らされて様々な表情を見せる様子を眺める時間は、佐藤さんにとってかけがえのない癒やしとなっています。
「若い頃は、もっと多くのものを手に入れたい、完璧なものを集めたいという気持ちもありました。でも今は、一つ一つのガラスが持つ個性や、そこに込められた物語を大切にしたいと思うようになりました」と佐藤さんは穏やかに語ります。これからは、無理に数を増やすのではなく、今手元にあるガラスたちとゆっくり向き合い、それぞれの物語を慈しんでいきたいと考えているそうです。
古いガラスが宿す透明な輝きは、過去から現在、そして未来へと続く時間の流れを静かに映し出しているのかもしれません。佐藤さんのガラスへの深い愛情は、私たちに、身の回りの何気ないものの中にも、心揺さぶる物語や、人生を豊かにする光が宿っていることを教えてくれます。