古い学生手帳が呼び覚ます、あの頃の私と向き合う時間
手帳に刻まれた、もう一人の青春
私たちの多くにとって、学生時代の手帳は、ただの予定管理ツールではありませんでした。それは秘密の日記であり、夢を書き留める場所であり、時には悩みや喜びを落書きのように吐き出すキャンバスでした。ページをめくるたびに、当時の流行や友人との約束、心に秘めた思いが鮮やかに蘇ってきます。
今回お話を伺ったのは、そうした「昔の学生手帳」を収集されている、都内在住の田辺さん(仮名)です。田辺さんは、ご自身の学生時代とは全く異なる年代や地域の学生手帳を、まるで宝物のように大切に集めていらっしゃいます。なぜ、見知らぬ誰かの古い学生手帳にこれほどの情熱を注がれているのでしょうか。そのお話を伺いました。
偶然の出会いから始まった、時間旅行
田辺さんが学生手帳の収集を始められたのは、数年前のある出来事がきっかけでした。趣味で骨董市を巡る中で、埃をかぶった箱の中に紛れ込んでいた一冊の古い学生手帳を見つけられたそうです。
「何気なく手に取ってみたんです。表紙は少しくたびれていましたが、中のページを開いてみたら、びっしりと当時の予定やメモが書き込まれていました。授業の時間割、友達との映画の約束、テストの日程、そしてページ隅には、小さなイラストや誰かの名前が描かれていたりして…。読み進めるうちに、この手帳を使っていた学生さんの息遣いが聞こえてくるような気がしたんです」
その手帳に魅せられた田辺さんは、それを持ち帰り、一晩かけてじっくりと読み込まれたと言います。記されている一つ一つの出来事は、田辺さん自身の学生時代とは異なっていても、そこに込められた感情や日々の営みには、不思議なほど共感するものがあったそうです。
「特に印象的だったのは、手帳の最後のページに、達成したい目標や将来の夢が、拙いながらも力強く書き記されていたことでした。『〇〇大学に合格する』とか、『将来は〇〇になる』とか。でもその横には、『でも、本当にできるかな…』といった不安げな独り言のようなメモもあったんです。それを見たとき、胸が締め付けられるような気持ちになりました。ああ、この人も、私たちと同じように、希望と不安の間で揺れながら青春を過ごしていたんだな、って」
この一冊との出会いが、田辺さんを学生手帳収集の世界へと導くことになりました。それ以来、古書店やフリマサイトなどを巡り、様々な年代、様々な地域の学生手帳を探し求めていらっしゃいます。
手帳が語る、一人一人の人間ドラマ
田辺さんが収集されている学生手帳は、どれも持ち主の個性が色濃く反映されています。几帳面に予定が書き込まれたもの、落書きやイラストで埋め尽くされたもの、文字がびっしりと書き込まれた日記のようなもの、ほとんど何も書かれていないもの…。
「手帳の種類や書き込み方を見ていると、その子がどんな性格だったのかな、と想像が膨らみます。真面目な優等生だったのかもしれない。あるいは、少し内気で、手帳の中にだけ本当の気持ちを書いていたのかもしれない」
ある手帳には、特定の友人の名前が頻繁に登場し、その日の出来事が詳細に記されていたそうです。喧嘩したこと、仲直りしたこと、一緒に笑ったこと、些細なことで悩んだこと…。まるで青春ドラマの一場面を見ているようだった、と田辺さんは語ります。
また別の手帳からは、当時の流行や社会の様子が垣間見えます。今はもうないお店の名前、流行していた映画や音楽、社会的なニュースへの言及など、教科書には載っていない生きた歴史がそこに刻まれているのです。
「手帳を見ていると、その時代の空気を感じることができます。制服の着こなし方とか、使われている言葉とか、抱いている夢とか。自分自身の学生時代を思い出すこともありますし、全く違う時代の若者の姿に触れることで、新鮮な発見もあります」
もちろん、中にはプライベートな情報が記されている場合もあります。そうした手帳については、持ち主のプライバシーに配慮し、公開したり内容を広めたりすることは決してしない、という強い信念を持っていらっしゃいます。あくまで、その手帳から感じ取れる「人の営み」や「時代の空気」を大切にされているのです。
手帳を通して見つめる、過去と未来
学生手帳の収集は、田辺さんにとって単なる趣味を超えた意味を持つようになったと言います。
「他人の手帳を覗き見ている、という感覚ではありません。むしろ、そこに記されている悩みや喜び、夢や希望に触れることで、私たち人間が普遍的に抱いている感情や願いに気づかされるんです。そして、そうした若い頃のひたむきな姿に触れると、自分自身の過去を振り返らずにはいられなくなります」
あの頃、自分は何に悩み、何を夢見ていたのだろうか。今の自分は、あの頃思い描いていた姿になれているだろうか。手帳を通して、田辺さんは静かにご自身の人生と向き合っていらっしゃいます。
「手帳の中の彼ら、彼女らは、皆、未来に向かって一生懸命生きていました。たとえそれが叶わなかった夢であっても、あの時の情熱や希望は確かにそこにありました。それを見ていると、今の自分も、立ち止まっている場合ではないな、と感じるんです。年齢を重ねても、何か新しいことに挑戦する気持ち、人生を楽しむ気持ちを忘れてはいけない、と背中を押されるような気がします」
学生手帳の収集は、過去への旅であると同時に、未来への励みでもある。田辺さんの言葉には、深い示唆が含まれているように感じられました。
手帳たちが教えてくれたこと
田辺さんの部屋には、年代も様々、デザインも様々な学生手帳が大切に保管されています。一冊一冊が、かつて誰かの青春を共に過ごした、かけがえのない証です。
これらの手帳は、持ち主にとっては過ぎ去った日々の一部に過ぎないかもしれません。しかし、田辺さんの手によって再び光を当てられた手帳たちは、見知らぬ私たちに、青春の輝き、夢を追うひたむきさ、そして人生を生き抜く力を静かに語りかけてくれています。
田辺さんの学生手帳収集は、これからも続いていくことでしょう。次にどんな手帳に出会えるのか、そこにどんな物語が記されているのか、田辺さんの心は期待に満ちているようでした。古い学生手帳たちが紡ぐ物語は、読む人それぞれの心に、忘れかけていた「あの頃の私」を呼び覚まし、静かな感動を与えてくれるに違いありません。