私と推しグッズ物語

古いノートが教えてくれた、あの頃の私

Tags: 収集, ノート, 人生, エピソード, 記憶

紙の上に残された、人生の軌跡

私たちは日々、様々なことをノートに書き留めます。勉強のメモ、仕事の記録、買い物のリスト、ふと思いついたこと、心に浮かんだ感情。書いた当時はその瞬間のためのものかもしれませんが、時間が経ち、それらのノートを再び開くとき、そこには思いがけない発見や、忘れていた「あの頃の自分」が姿を現すことがあります。

今回お話を伺ったのは、古いノートを集めている佐藤さん(仮名、70代)です。佐藤さんのコレクションは、自身が学生時代に使っていたものから、古道具市やフリマで偶然手に入れた見知らぬ誰かのものまで、多岐にわたります。一見するとただの紙束ですが、佐藤さんの目を通して語られるノートたちは、どれもが持ち主の息遣いや時代の空気を感じさせる、生きた記録に見えてきます。

一冊のノートから始まる物語

佐藤さんが古いノートに惹かれ始めたのは、退職後、自宅の片付けをしていた時のことでした。押し入れの奥から、学生時代の勉強ノートや日記のようなものが出てきたそうです。「最初は捨てるつもりだったんです。でも、ぱらぱらとめくってみたら、鉛筆でびっしり書き込まれた数式や、授業中に書いたらしい落書き、友人とのやり取りを模写したメモなんかも出てきて」と佐藤さんは振り返ります。

そこには、懸命に何かに取り組んでいた若き日の自分の姿がありました。当時難解に思えた問題に悩み、時には諦めかけながらも食らいつこうとしていた跡、授業の合間に書いたであろう漫画のキャラクターの絵、そして片思いの相手の名前。それらは、記憶の片隅に追いやられていた、あるいは完全に忘れていた感情や出来事を鮮やかに蘇らせたといいます。

「あの頃の私は、こんなことを考えていたのか、こんなに一生懸命だったのか、と驚きでした。そして、なんだか愛おしくなったんです。未熟で、失敗ばかりしていたかもしれないけれど、確かにあの時を懸命に生きていた自分が、そこにはいました」

その経験から、佐藤さんは自身の古いノートを整理し、大切に保管するようになりました。そして、徐々に他の人の古いノートにも興味を持つようになったのです。

見知らぬ誰かの人生に触れる

古道具市などで古いノートを見つけると、佐藤さんは必ず手に取ってみるそうです。表紙の色やデザイン、紙の質、そして中に何が書かれているかを想像するだけで、ワクワクすると語ります。

「中には、本当に様々な人生が詰まっていますよ」と佐藤さん。「あるノートは、丁寧に食材の絵と一緒にレシピが書かれていました。料理が好きで、家族のために心を込めて作っていた方のものかもしれません。別のノートは、ひたすら英語の単語が書き連ねてあるだけ。きっと語学を熱心に勉強されていたのでしょう。中には、誰かの悪口や、将来への不安、秘めた夢などが殴り書きされた日記のようなものもあります」

特に印象に残っているのは、戦時中に書かれたと思われる小さな手帳だそうです。そこには、物資の不足や日々の苦労、そして遠くにいる家族への思いが、簡潔ながらも力強い文字で記されていました。「その手帳から、当時の人々の暮らしや心情がひしひしと伝わってきました。教科書で読む歴史とは違う、生身の人間が感じていたことがそこにあったんです」

見知らぬ誰かのノートを読むことは、その人の人生の断片を追体験するようなものだと佐藤さんは言います。「勝手に想像を膨らませてしまうのは申し訳ない気もするのですが、この人はどんな生活を送っていたのだろう、どんな夢を持っていたのだろう、と考える時間はとても豊かです。そして、時代が変わっても、人が抱える悩みや喜び、希望といったものは、根本的にはあまり変わらないのだな、と感じることも多いです」

紙の上の「今」と「未来」

佐藤さんにとって、古いノートの収集は単なる趣味を超えた意味を持っているようです。「一枚の紙に書かれた文字や絵は、その時の、その人の『今』だったのだと思います。それが積み重なって、その人の人生になり、時代の記録になる」

自身の古いノートを見返すと、過去の自分と向き合い、今の自分を省みるきっかけになるといいます。また、他人のノートに触れることで、多様な価値観や生き方に触れ、自分自身の視野が広がったとも感じています。

「これから先も、どんな古いノートと出会えるか楽しみです。そして、そこにどんな人生の物語が記されているのか、そっと読み解いていきたいと思っています。それは、過去を振り返るだけでなく、今の自分を見つめ直し、これからをどう生きるかを考えるヒントを与えてくれるように思うのです」

佐藤さんの言葉からは、古いノートという物質そのものへの愛着以上に、そこに宿る「人間」への深い洞察と共感が感じられました。紙の上に刻まれた無数の線や文字は、確かにその人がそこにいた証であり、読む者自身の内面にも問いを投げかける、静かで力強い存在なのかもしれません。