古いカレンダーが映し出す、家族との温かい記憶
壁の傍らに寄り添う、過ぎ去りし日々の暦
私たちの日常に静かに寄り添い、一年が終われば当たり前のように新しいものに変わっていくカレンダー。それは単なる日付と曜日の羅列ではありますが、ある収集家にとって、古いカレンダーは家族との温かい記憶が詰まった、何物にも代えがたい宝物なのだと言います。今回は、そんな古いカレンダーを大切に保管されている田中さん(仮名、70代)のお話を伺いました。
捨てるに忍びなかった、書き込みだらけの暦
田中さんが古いカレンダーを保管するようになったのは、特別な収集目的があったわけではありませんでした。「主人が亡くなってから、部屋を整理していた時のことでした」と田中さんは振り返ります。長年使っていたカレンダーを剥がそうとした時、そこに書き込まれた文字が目に留まりました。子供たちの学校行事、家族の誕生日、旅行の予定、そして何気ない「今日は〇〇さんとお茶」といった田中さん自身の小さな予定まで、びっしりと書き込みがされています。
「ああ、この年は娘が高校に入学した年だわ」「この夏休みは家族みんなで旅行に行ったんだっけ」——カレンダーをめくるたび、その年の出来事が鮮やかに蘇ってきました。日付の横に小さく書かれた「主人の体調不良」という文字を見つけては、心配で眠れなかった夜を思い出し、子供が病気した日の「熱38.5℃」という書き込みには、看病した当時の緊迫感が蘇ることもあったそうです。
「捨てるなんて、とてもできませんでした。これは、その年の家族の足跡そのものですから」。そう言って、田中さんは古くなったカレンダーを捨てる代わりに、押し入れの奥に大切に仕舞うようになったのです。
カレンダーが語る、家族の「今」と「昔」
保管しているカレンダーは、もう30年分にもなるそうです。時折、ふと思い立って古いカレンダーを取り出しては、当時の家族の様子を懐かしむ時間が田中さんの日課となりました。
一番上の段には、まだ幼かった孫たちの成長が記されたカレンダーが並びます。「この頃は、まだハイハイしかできなかったのにね」「初めて自転車に乗れた日、ちゃんとカレンダーに丸をつけているわ」など、今はもうすっかり大きくなった孫たちの、小さかった頃の可愛らしいエピソードが、書き込みを見るたびに次々と頭に浮かんでくるそうです。
さらに遡ると、それは子供たちの学生時代、そして田中さんご夫婦がまだお若かった頃の記録へと続きます。「あ、この日は主人が出張から帰ってくる日だったのね」「夜ご飯に〇〇を作った、なんて書いているわ。きっと主人が好きだったメニューだったのでしょうね」。単なる予定だけでなく、その日の気分や出来事が走り書きされていることもあり、田中さんはそれらのメモ書きから、当時の自分や家族の心情を推し量るのだと言います。
移りゆく時の流れと、変わらない温もり
古いカレンダーは、田中さんに時の流れを痛感させると同時に、家族という存在の温かさや、共に過ごした日々の尊さを改めて教えてくれるのだそうです。書き込みが少なかった年を見れば、忙しさに追われていた頃を思い出し、ぎっしり書き込まれた年を見れば、家族が濃密な時間を共有していた様子が目に浮かびます。
「カレンダーは正直ですね。その年、その年の私の忙しさや、家族のライフスタイルが、そのまま記録されているようです」。そして、それらの古いカレンダーを眺めていると、たとえ辛い出来事があった年であっても、必ず家族の誰かの誕生日が記されていたり、何かしらの嬉しい出来事が書き込まれていたりすることに気づくのだと言います。悲喜こもごも、それが人生なのだと、古いカレンダーが静かに語りかけてくれるかのようです。
人生のページをめくるように
田中さんにとって、古いカレンダーは単なる過去の遺物ではありません。それは、家族と共に歩んだ道のりを記した大切な「記録」であり、いつでも温かい記憶が待っている「宝箱」のようなものだと言います。そして何より、忙しい日々に追われる中で見過ごしてしまいがちな、日常の中に散りばめられた小さな幸せや、家族への感謝の気持ちを思い出させてくれる存在です。
「これからは、もっと丁寧にカレンダーに書き込みをしようかしら」と、新しい年のカレンダーに目を向けた田中さんは穏やかに微笑みました。一枚の紙に刻まれた日付と書き込みは、確かに過ぎ去った時間を映し出していますが、同時に、これから始まる新しい日々をどのように紡いでいくかを静かに問いかけているようでもありました。古いカレンダーは、これからも田中さんの傍らで、温かい家族の物語を静かに見守っていくことでしょう。