古びた切符が綴る、人生の旅路
人生の節目に寄り添う、一枚の切符
私たちの人生は、長い旅路のようなものかもしれません。時には立ち止まり、時には急ぎ足で、様々な風景を通り過ぎていきます。その旅の途中で手にした「切符」という存在に、特別な思いを寄せる収集家がいらっしゃいます。今回は、長年にわたり古びた鉄道の切符を集め続けている佐藤さん(仮名、70代)にお話を伺いました。
佐藤さんのコレクションは、決して華やかなものではありません。色褪せ、角が丸くなった紙片の束。しかし、佐藤さんがそれらを手に取り、じっと見つめる眼差しには、深い愛情と、遠い過去への追憶が宿っているように見えました。
始まりは、少年時代の憧れから
佐藤さんが切符を集め始めたのは、まだ蒸気機関車が日本の主要な交通手段だった頃に遡ります。幼い頃から鉄道に強い興味を持っていた佐藤さんにとって、切符は単なる乗車券ではなく、旅への入り口、そして機械仕掛けの大きな乗り物を動かす魔法のカードのように映ったと言います。
「初めて一人で電車に乗った時の切符は、今でも大切にしています」と佐藤さんは語り始めました。「たった数駅の短い旅でしたが、あの時の改札鋏の音、硬い紙の感触、それに印字された地名。すべてが心に刻まれています。それが、私の収集の原点かもしれません」。
当時は、まだ自動改札機はなく、駅員さんが切符に鋏を入れていました。その独特な形に切り取られた跡(入鋏痕)一つ一つに、佐藤さんはその駅の個性や、旅の始まりを実感していたそうです。やがて、遠くの親戚を訪ねる旅、友人との初めての旅行、そして学生時代の通学。人生の節目となる様々な旅で手にした切符が、自然と手元に溜まっていきました。
思い出深いエピソードと、切符が語る時代の変遷
佐藤さんのコレクションの中でも、特に思い入れが深い一枚は、高校の修学旅行で使った急行券だと言います。
「初めて夜行列車に乗って、遠い町まで行った時の切符です。分厚い硬券でね。あの時の列車の匂い、窓の外を流れる景色、友達との語り合い。すべてが、この一枚に詰まっているような気がするのです。切符を見るたびに、あの頃の瑞々しい気持ちが蘇ってきます」。
しかし、収集の道は平坦ではなかったと言います。特に苦労したのは、廃止されたローカル線の切符集めでした。時代の流れとともに、多くの鉄道路線が姿を消し、それに伴ってその路線の切符も手に入りにくくなっていきました。
「どうしても手に入れたい切符があって、何度もその沿線の小さな駅を訪ねたり、鉄道イベントに足を運んだりしました。時には、もう手に入らないと言われて、がっかりしたこともあります。でも、諦めずに探し続けた結果、思わぬ場所で出会えた時の喜びは格別でしたね」。
また、切符を見ていると、時代の変化を強く感じると佐藤さんは言います。硬券から軟券、そして磁気券やICカードへと変化していく中で、切符のデザインや情報、そして「旅の仕方」そのものが変わってきたことを実感するそうです。
「切符のデザイン一つ取っても、その時代の印刷技術や流行が見て取れます。古いものには、職人の手作業のような温かみを感じるものもあります。こうした変化を、私は一枚一枚の切符を通して見つめているのです」。
切符が教えてくれた、人生の価値
佐藤さんにとって、古びた切符の収集は、単なる趣味を超えたものです。それは、自身の歩んできた人生の旅路を振り返る時間であり、忘れかけていた記憶を呼び覚ます鍵でもあります。
「一枚の切符には、その時の私の年齢、旅の目的、一緒にいた人、そしてその時に感じた思いが詰まっています。切符を整理していると、まるで自分の人生という名のアルバムをめくっているような気持ちになるのです」。
そして、切符には、自分以外の誰かの旅の物語も宿っているかもしれないと佐藤さんは考えます。同じ駅で同じ日に発行された切符でも、それを使った人は全く違う人生を歩んでいる。そう思うと、一枚の紙片に込められた、無数の人生のドラマに思いを馳せずにはいられないと言います。
佐藤さんの穏やかな語り口から、切符という収集対象を通じて見つめる、人生への深い洞察が伝わってきました。それは、過去の記憶を大切にしつつ、未来への旅路も静かに受け入れる、成熟した大人の生き方そのものなのかもしれません。
旅は続く
佐藤さんの切符収集は、これからも続いていくそうです。それは、新たな切符との出会いを求める旅であると同時に、過去の切符に宿る物語をより深く理解しようとする、心の内側の旅でもあります。
古びた一枚の切符は、単なる紙片ではありません。それは、過去への扉を開き、思い出を鮮やかに蘇らせ、そして、私たちの人生という名の旅路を静かに見守ってくれる、小さな羅針盤なのかもしれません。