色とりどりの薬瓶に灯る、過ぎし日の面影
古い薬瓶が語りかけるもの
幼い頃、祖母の家の戸棚の奥で、ひっそりと佇んでいた小さなガラスの瓶。色とりどりの光を透かし、独特の形をしたその瓶は、幼心に不思議な魅力を放っていました。それが、古い薬瓶との出会いでした。今回お話を伺った田中さん(仮名、60代)は、四半世紀にわたり、古い薬瓶の収集を続けています。
「最初は、単に形や色が面白いな、という程度でした」と田中さんは振り返ります。「でも、一つ一つに貼られたラベルを見たり、栓の形を比べたりするうちに、これはただの容器ではない、それぞれの時代を生きた人々の息吹が宿っていると感じるようになったのです。」
瓶に宿る、名もなき人々の物語
田中さんが収集する薬瓶は、主に明治から昭和初期にかけて製造されたものです。当時は、薬も今のように規格化されておらず、町の薬種問屋や薬局が独自の処方で調合し、それぞれの意匠を凝らした瓶に入れて販売していました。
「同じ風邪薬でも、地域によって、あるいは薬局によって、瓶の形も色も、ラベルのデザインも全く違うのです」と田中さんは語ります。「このラベルの文字は崩れていますが、きっと当時の職人さんが一生懸命書いたのでしょう。この瓶は少し歪んでいますね、手吹きガラスかもしれません。そんな細部に、当時の人々の暮らしぶりや、ものづくりへの思いを感じるのです。」
ある時、田中さんは骨董市で、小さな琥珀色の薬瓶を見つけました。ラベルは剥がれかけていましたが、「鎮咳去痰」という文字と、読みかけの薬局名がかろうじて残っていました。家に持ち帰り、資料を調べてみると、それは明治時代に地方の小さな薬局で販売されていた咳止め薬の瓶であることがわかりました。
「特別な瓶というわけではありません。おそらく、ごく ordinary な薬だったでしょう」と田中さんは言います。「でも、この瓶を買った人は、咳に苦しみ、この薬に治癒の望みを託したのでしょう。その人がどんな暮らしをしていたのか、どんな思いでこの瓶を手に取ったのか。そう想像するだけで、この小さなガラス片が、遠い過去と自分をつなぐ窓のように思えるのです。」
田中さんの棚には、色とりどりの薬瓶が並びます。透明なガラスに、緑、青、茶、そして光を帯びた琥珀色。それぞれの瓶が、異なる時代、異なる場所で、名もなき人々の手から手へと渡り、彼らの痛みや希望、そして日常を見つめてきたのです。
収集が人生にもたらした彩り
田中さんは、薬瓶を収集する過程で、多くのことを学びました。当時の薬事制度、病気の歴史、ガラス製造技術の変遷、そして人々の生活文化。それは、教科書には載っていない、生きた歴史でした。
また、同じ趣味を持つ人々との出会いも、田中さんの人生を豊かにしました。「薬瓶について話せる友人ができたのは、何よりの宝です」と彼は微笑みます。「互いの知識や情報を交換したり、珍しい瓶を見せ合ったり。そこから新たな発見や学びが生まれることも多いのです。」
古い薬瓶の収集は、決して華やかな趣味ではないかもしれません。しかし田中さんにとって、それは単なる物のコレクションではなく、過去の時間を慈しみ、人々の営みに思いを馳せる、静かで豊かな時間なのです。
過去からの贈り物
田中さんの部屋に差し込む午後の光が、ガラスの薬瓶を透過し、壁に色とりどりの光の粒を映し出しています。それはまるで、過ぎ去った日々から届いた、温かな光の粒のようです。
「これらの瓶は、私に謙虚な気持ちを思い出させてくれます」と田中さんは静かに語ります。「当たり前だと思っている現代の暮らしが、どれほど多くの人々の努力と時間を経て築かれてきたのか。そして、どんな時代にも、人は懸命に生き、小さな希望を胸に日々を送っていたのだということを。」
古い薬瓶は、今日も田中さんの棚で静かに佇んでいます。それぞれのガラスの肌には、長い年月を経た風合いと、かつて宿していたであろう人々の小さな物語が、そっと刻み込まれているかのようでした。