古い家電カタログが映す、昭和・平成の暮らしと夢
紙のページに封じられた、家族の情景
物を集めるという行為には、単に「手に入れる」以上の深い意味が込められているのかもしれません。それは、過去への追憶であったり、失われた時間への憧憬であったり、あるいは自分自身の心の欠片を探す旅であったり。今回お話を伺ったのは、古い家電カタログを長年にわたり収集されている田中さん(仮名)。一見地味に見える「紙もの」の収集に、田中さんがどのような情熱を注ぎ、何を見出してきたのか。その静かな物語に触れてみました。
収集の始まりは、幼い日のときめき
田中さんが古い家電カタログを集め始めたのは、今から30年以上前のことだと言います。きっかけは、子供の頃の鮮烈な記憶でした。新しいテレビや冷蔵庫が家に来る前、家族みんなで家電店のカタログを囲んで「これがいい」「あれがいい」と話し合った時間。ピカピカの家電の写真が並ぶカタログには、未来への希望や、生活が少し豊かになることへの期待感が詰まっていたそうです。特に、分厚いカラーページをめくる時の、あの何とも言えないときめき。その感覚が、大人になってふとした瞬間に蘇り、「あの頃のカタログを見てみたい」という衝動に駆られたのが始まりでした。
「最初は、実家に残っていた古いカタログを引っ張り出す程度でした」と田中さんは静かに語ります。「でも、見ているうちに、他のメーカーの同じ年代のものや、少し前のものも見てみたくなったんです。インターネットで検索しても、まだ情報が少なかった時代ですから、古本屋さんや、町の小さな電気屋さんの倉庫などを訪ね歩きました。もちろん、門前払いされることも多かったですよ」。
探し求めた一冊が見せてくれたもの
収集を続ける中で、特に思い出深い一冊があるそうです。それは、田中さんが小学校高学年の頃、自宅に初めてカラーテレビがやってきた時の、まさにその機種が載っているカタログでした。当時の田中さんにとって、白黒だったテレビがカラーになるというのは、まるで魔法のような出来事だったと言います。
「そのカタログを見つけた時は、本当に震えましたね。ページの隅々まで、あの頃の自分が食い入るように見ていた光景が広がっていました」。カタログを開くと、鮮やかな色で写されたドラマのワンシーンや、家族団らんのイメージ写真。田中さんの心には、テレビがリビングに置かれた日のこと、家族みんなで画面にかじりついて見た初めてのカラー映像、友達に自慢した時の誇らしい気持ちなど、数えきれないほどの記憶が溢れ出したと言います。「単なる商品の説明書や広告ではないんです。その時代の空気、人々の暮らしぶり、そして何よりも、私自身の家族の記憶が、あの薄い紙の束にぎゅっと詰まっているように感じました」。
カタログの写真に写る家族の姿を見ながら、田中さんは想像を巡らせます。このテレビを買った家では、どんな会話があったのだろう。この洗濯機で、どんな人が家族の衣類を洗っていたのだろう。カタログの向こう側にいる、見知らぬ人々のささやかな日常に思いを馳せる時間も、田中さんにとって大切なひとときなのだそうです。
もちろん、収集には苦労も伴いました。状態の良いものを見つけるのは難しく、同じカタログでも年代や版によって少しずつ内容が違ったりと、奥が深い世界でした。時として、予想外の高値になることもあり、「今回は諦めよう」と見送ったことも何度もあります。しかし、そうした苦労も含めて、一冊一冊との出会いが、田中さんの収集の物語を彩っているのです。
カタログが語る、時代の変遷と人生の価値
田中さんにとって、古い家電カタログの収集は、単なる趣味を超えたものになっています。それは、自身の人生を振り返る鏡のような存在だと言います。ページをめくるたびに、そこに写る家電だけでなく、当時の流行、物価、そして人々の価値観の変化が見えてくるからです。
「新しい機能が次々と登場する家電を見ていると、技術の進歩の速さに驚かされます。でも、同時に、どんなに便利な家電ができても、家族が一緒に過ごす時間や、誰かを思いやる気持ちといった、変わらない大切なものがあることに気づかされるんです」。
古いカタログに囲まれている時間は、田中さんにとって、慌ただしい日常から離れ、静かに自分と向き合う大切な時間です。紙の手触り、インクの匂い、少し黄ばんだページの色。それら全てが、遠い昔の記憶を呼び覚まし、温かい気持ちにしてくれるのだと言います。
収集したカタログは、整然と棚に並べられています。一つ一つに、田中さんの物語が宿っています。それは、探し求めた時の道のりであり、初めて手にした時の喜びであり、ページを開くたびに蘇る家族の記憶であり、そして、カタログの向こう側にいる見知らぬ誰かの暮らしへの想像力です。
「これからも、ゆっくりと、私のペースで収集を続けていきたいと思っています。一枚の紙から広がる、人々の暮らしや夢の物語に触れながら」。
田中さんの瞳は、古いカタログを見つめる時のように、穏やかで優しい光を宿していました。物を集めるという行為は、過去を大切にし、今を味わい、そして未来へと繋がる自分自身の物語を紡ぐことなのかもしれません。